【アトム会のあゆみ 第5回】アトム青波会・アトム塗友会

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アトム塗友会
(平成 3 年 北海道)

初代ネオン塔(有楽町)

アトム家庭塗料協議会は順調に発展していましたが、この協議会には他社の家庭塗料も取り扱う、いわゆる併売店が含まれていました。
そこで、昭和 52 年(1977 年)の流通戦略立て直しを機に、
当社の専売店の経営者だけに限定して組織を改編し、『アトム青波会(せいはかい)』として新たに発足させました。
発足当初、既存の特約店に加え、以下の 9 社が新たに加入しました。

  • ・西山産業(滋賀)
  • ・藤本塗料興業(高知、愛媛)
  • ・コシミ(東京)
  • ・大山商会(城北)
  • ・タカシマ(東京)
  • ・成和産業(神奈川)
  • ・安藤商店(大阪)
  • ・エー・ティー・エム(愛知、静岡)
  • ・まると(兵庫)
  • ・アトム新潟(新潟)

当時の店舗写真


二代目ネオン塔(飯田橋)

アトム青波会初代会長には、アトム家庭塗料協議会の初代議長であった大井明朗氏(株式会社オオイ)が就任しました。

西日本地区においては、西山産業株式会社の西山邦雄氏がリーダー的存在としてご尽力くださり、意見のとりまとめや、関西地区での幹事役として大井会長を力強くご支援いただきました。現在は、本社を構える滋賀県近江八幡市より、関西圏・北陸圏・岐阜・三重といった広範な地域で、精力的に営業展開をされております。

また、高知市に本社を構える四国の大手塗料商社・藤本塗料興業株式会社の会長 藤本幸造氏には、須崎・松山・川崎営業所(神奈川県)と、広域にわたる営業展開をされる中、最長老のご意見番として、大井会長に多大なるお力添えを賜りました。

ちなみに、「アトム青波会」という名称は、昭和 50 年(1975 年)に発売されたマリーナに由来しています。マリーナは、当時の市場でつや消しタイプの塗料が主流であった中で、つやありタイプのニーズの増加に応えるために開発されました。エマルションの合成技術の向上により、光沢度 60 程度の艶を再現し、日本における水性塗料の最高評価を得ることができました。

また、当時の販促強化策の一環として、好評を博したマリーナの缶デザイン「塗料のしずくの動き」をモチーフとした巨大なアトムのネオン塔が有楽町に設置されました。このネオン塔は、昭和 54 年(1979 年)の春に企画され、5 月に完成し、文藝春秋のグラビアの隅に写っていたり、怪獣映画の背景に登場したりするなど、人々の話題を集めました。2 代目ネオン塔は飯田橋に設置され、首都高速 5 号線の下り車線から大きく眺めることができ、長年に渡り親しまれてきました。この頃から、ネオン塔にも使われている企業広告のキャッチコピーには「色」という言葉が盛り込まれ、「アトムの色彩」を通じて人々の暮らしをより豊かにというメッセージを打ち出していきました。

昭和 53 年(1978 年)、アトム青波会の下部組織として、主に代理店の営業責任者を中心に中堅幹部を会員とする『アトム塗友会』が設立されました。 この会は、初期メンバー 15 社 20 名(うち一部の企業は 2 名参加)の規模でスタートし、毎月 1 回の活動を行っていました。活動内容は、新製品キャンペーンに伴い、企業内での内部プレゼンテーションを通じて、提案力を競い合うというものでした。この取り組みにより、販売体制が一層強化され、他社の特約店からシェアを獲得することができました。

さらに、昭和 59 年 8 月(1984 年)には、18 名のメンバーを伴い、アメリカ研修(アトム塗友会米国ツアー)を実施しました。シカゴのコミニックセンターで開催された DIY ショーの見学を中心に、シアトルやニューヨークをはじめとする主要都市を 10 日間にわたって視察しました。この研修を通じて、当社と特約店との相互理解がより深まり、平成 6 年(1994 年)には最も活発な時期を迎えることになります。

主力商品

アトムスプレー エアゾールラッカー
1970 年(昭和 45 年発売)

マリーナ
1975 年(昭和 50 年発売)

 日本の水性塗料における最高評価